(5)赤玉神教丸(あかだましんきょうがん)


有川市郎兵衛(ありかわいちろうべい)氏(し)の赤玉神教丸は、腹痛(ふくつう)・食傷(しょくしょう)・下痢止め(げりどめ)の妙薬(みょうやく)として有名(ゆうめい)です。初(はじ)めて作(つく)られたのは1658年頃(ころ)<万治(まんじ)元年(がんねん)>といわれています。
「お伊勢(いせ)七度(ななど)、熊野(くまの)へ三度(さんど)、お多賀(たが)さんへは月参(つきまい)り」と歌(うた)われた多賀神社(じんじゃ)の神教(しんきょう)によって作られたというのがその名(な)のいわれです。
多賀の坊宮(ぼうぐう)が全国(ぜんこく)を巡回(じゅんかい)して、地方(ちほう)の人に多賀参りを勧(すす)める時(とき)、神薬(しんやく)として各地(かくち)に持(も)ち歩(ある)いたのかもしれません。
有川(ありかわ)家(け)の祖先(そせん)は、磯野丹波守(いそのたんばのかみ)に仕(つか)えた郷士(ごうし)で、鳥居本(とりいもと)に居(きょ)を構(かま)え、はじめ鵜川(うかわ)氏を名乗(なの)っていましたが、有栖川宮(ありすがわみや)家へ館入(やかたい)りを許(ゆる)されたのが縁(えん)で、「有川」を名乗るようになりました。
赤玉神教丸は店舗(てんぽ)販売(はんばい)のみで、置(お)き薬売(くすりう)りの行商(ぎょうしょう)形態(けいたい)はとられませんでした。
店(みせ)が中山道(なかせんどう)に面(めん)していたので、往還(おうかん)の旅人(たびびと)がこれを争(あらそ)って求(もと)めました。大津(おおつ)に出店(でみせ)を持(も)ち各地(かくち)の薬屋(くすりや)と特約(とくやく)して取次(とりつ)ぎ販売を依頼(いらい)しました。
本舗(ほんぽ)の裏(うら)に薬の製造場(せいぞうじょう)があり、それに従事(じゅうじ)する職人(しょくにん)・販売人(にん)・番頭(ばんとう)を合(あ)わせると40人を越(こ)え、盛(さか)んな時には80人に及(およ)びました。
第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)前(まえ)はアメリカや中国(ちゅうごく)にまで販路(はんろ)を持(も)っていました。
同家(どうけ)の建物(たてもの)は1751年〜1763年頃(ころ)<宝暦(ほうれき)年間(ねんかん)>に建(た)てられ、1878年<明治(めいじ)11年>には、明治天皇(てんのう)が北国(きたぐに)をまわられた時、ご休憩(きゅうけい)の場所(ばしょ)となりました

(ふるさと鳥居本)

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赤玉神教丸

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明治天皇鳥居本御休憩所

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