(9)千々(ちぢ)の松原(まつばら)


城北(じょうほく)小学校(しょうがっこう)の校歌(こうか)に「千々の松原」と歌(うた)われているように、松原湖岸(こがん)にはたくさんの松(まつ)が植(う)えられ、市民(しみん)のいこいの場(ば)になっています。
では、どうして松が植えられたのでしょう。
昔(むかし)は、瀬田(せた)にある南郷(なんごう)の洗堰(あらいぜき)のように琵琶湖(びわこ)の水(みず)の量(りょう)を調節(ちょうせつ)するところはありませんでした。
それで、長雨(ながあめ)が続(つづ)くと琵琶湖の水位(すいい)が高(たか)くなり、湖(みずうみ)の回(まわ)りにある人家(じんか)や田畑(たはた)は何度(なんど)も水につかってしまいました。
時(とき)には、大波(おおなみ)によって湖岸の土地(とち)が流(なが)されてしまうこともありました。
人々(ひとびと)は土地の流出(りゅうしゅつ)を防(ふせ)ぐために、湖岸に松の木を植えたのです。
松は地中(ちちゅう)に長(なが)く根(ね)をのばし、その毛根(もうこん)は、網(あみ)の目(め)のように張(は)りめぐらされ、大波にも耐(た)えることができる性質(せいしつ)をもっているからです。
琵琶湖のまわりにはあちこちに数(かず)多(おお)くの松が植えられましたが、このうち松原湖岸に植えた松並木(なみき)のことを「千々の松原」と呼(よ)ぶようになりました。
その後(ご)も、時にはうち寄(よ)せる大波に流されてしまったり、時には軍用(ぐんよう)の資材(しざい)として切(き)り取(と)られたりすることもありましたが、人々の努力(どりょく)により何度も植えかえられ守(まも)られてきました。
けれども、1975年頃(ころ)から松食虫(くいむし)がはびこり、すばらしかった松並木もつぎつぎ枯(か)れて、数えるほどになってしまいました。
松原の自治会(じちかい)では、彦根市(ひこねし)や滋賀県(しがけん)の協力(きょうりょく)をえながら、町内(ちょうない)をあげて水泳場(すいえいじょう)の掃除(そうじ)をしたり、小松(こまつ)の苗木(なえぎ)を植えたりして、「千々の松原」を守り育(そだ)てようとしています。

郷土(きょうど)読本(どくほん)「ふるさと城北」

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