(3)法蔵寺(ほうぞうじ)


1337年<延元(えんげん)2年>に、源平(げんぺい)の戦(たたか)いで活躍(かつやく)したといわれる那須与一(なすのよいち)の子孫(しそん)の宗政(むねまさ)が建(た)てたといわれています。
那須与一は、源義経(みなもとのよしつね)につかえた勇敢(ゆうかん)な武士(ぶし)の一人(ひとり)であり、屋島(やしま)の戦いにおいて、平氏(へいし)の舟(ふね)のへさきにたてられた扇(おうぎ)の的(まと)を見事(みごと)にうちおとした話(はなし)が有名(ゆうめい)です。
また、俗(ぞく)に「白門(しろもん)」と呼(よ)ばれる本門(ほんもん)には、左甚五郎(ひだりじんごろう)が作(つく)ったといわれる「龍(りゅう)」の彫刻(ちょうこく)があり、これにまつわる伝説(でんせつ)も残(のこ)されています。
山門(さんもん)がたてられた当時(とうじ)、彫刻の龍は寺(てら)の南(みなみ)にあった堂前川(どうまえがわ)に夜(よ)な夜な水(みず)を飲(の)みに出(で)かけ、村人(むらびと)たちをおそれさせました。
そこで、和尚(おしょう)さんの指示(しじ)により龍の頭(あたま)に五寸釘(ごすんくぎ)をうちこんだところ、おさまったということです。
現在(げんざい)は、浄土真宗(じょうどしんしゅう)本願寺(ほんがんじ)派(は)のお寺として、阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊(ほんぞん)としてまつっています。
また、1603年<慶長(けいちょう)8年>につくられたといわれる枯山水(かれさんすい)の名庭(めいてい)が、今(いま)も一部(いちぶ)、残(のこ)されています。

「ふるさと・かわせ」

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法蔵寺

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