(2)地福寺(じふくじ)跡(あと)


室町(むろまち)時代(じだい)に建(た)てられた地福寺と言(い)われたお寺(てら)は、「場内(じょうない)およそ二町四面(にちょうしめん)、七堂伽藍(しちどうがらん)・・・・・・」『上稲葉町(かみいなばちょう)共有(きょうゆう)文書(もんじょ)』と記(しる)されているくらい大(おお)きな寺院(じいん)であったと言われています。
しかし、1568年<永禄(えいろく)11年>織田信長(おだのぶなが)の観音寺(かんのんじ)攻(せ)めにより、建物(たてもの)すべて消失(しょうしつ)し、現在(げんざい)では、石造(いしづく)りの大香炉(だいこうろ)など少(すこ)しの遺物(いぶつ)を残(のこ)すだけとなっています。
上稲葉町の北(きた)には、来迎川(らいごうがわ)という川が流(なが)れていますが、この川の名前(なまえ)もこの寺院にによって名(な)づけられたと言われています。

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地福寺跡(上稲葉町)

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