16 森林(しんりん)と植林(しょくりん)
自然(しぜん)のままとは、いっさい自然に手を出さないことなのだろうか。
山の豊(ゆた)かな緑(みどり)。山々(やまやま)には、大昔(おおむかし)からこの緑を絶(た)やさぬようにするために多大(ただい)の費用(ひよう)と労働力(ろうどうりょく)が資本(しほん)投下(とうか)されてきた。
山が荒(あ)れると、たちまち洪水(こうずい)や土砂(どしゃ)くずれ、果(は)ては水不足(みずぶそく)の原因(げんいん)となる。
治水(ちすい)、治山(ちさん)という言葉(ことば)が生(い)きているように、水に敏感(びんかん)な私(わたくし)たち日本人は山に関(かか)わり、緑を育(そだ)て、自然(しぜん)とつきあってきた。
1603年の築城(ちくじょう)とともに響(ひびき)きわたったであろう城下町(じょうかまち)建設(けんせつ)の槌(つち)の音(おと)とともに、これらの山々からどれだけの木が伐(き)られただろうかと思ったりする。
そしてまきや炭(すみ)などの燃料(ねんりょう)として、また道具(どうぐ)の材料(ざいりょう)としての商品(しょうひん)価値(かち)として。失(うしな)われた緑を守(まも)るために、山々は何十年、何百年(なんびゃくねん)と手塩(てしお)にかけられる。
そういえばつい1世紀(せいき)ほど前、荒れた山肌(やまはだ)の惨憺(さんたん)たる荒神山(こうじんやま)の造林(ぞうりん)のために心血(しんけつ)そそいだ先人(せんじん)のことが思い出されてくる。
善谷町方面
林道(りんどう)から善谷(ぜんや)町方面(ほうめん)を望(のぞ)む
 
  荘厳寺町にて
荘厳寺(しょうごんじ)町にて

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