十王村の水

彦根市西今町のお話


彦根のお城(しろ)ができるずっと前。お城(しろ)のまわりが、まだ、ぬま地だったむかし。そのころから、彦根の南、西今のあたりには、人びとが集まり住んでいました。それは、ここに泉(いずみ)があったからではないでしょうか。西今の泉(いずみ)。この泉(いずみ)を”十王村の水”といいます。五角形の池のまん中にお堂があって、そのそばに、井の字の形に石が組んであります。その中から、こんこんとわき出る水が池を作り、川となって流れ出しています。

この水は、近くの人ばかりでなく、街道(かいどう)を通る旅人や、多賀大社におまいりする人びとののどもうるおしてきました。水道のないむかし、よい水のわき出る泉(いずみ)はとても大切だったのです。

では、この泉(いずみ)につたわるお話をはじめましょう。


むかしむかし、この村にお民というむすめが住んでいました。この泉(いずみ)の水を産湯(うぶゆ)につかい、この水で三度の食事をし、この水で朝夕、顔をあらい、いつしか美しいむすめになって、遠くの村の大工(だいく)のわかもののところにおよめに行きました。この若者は親方から

「これは、いずれ、いい大工の親方になる。」

と、おりがみつきのがんばりやでした。

お寺やお宮さんをたてる大工(だいく)でしたから、高い所にもよくのぼりますし、身なりもきちんとしていなければなりません。お民さんは、三度の食事に気をくばり、

「けがをしませんように。よい仕事ができますように。」

と、いのりながら送り出します。若者も、お民さんに、

「おまえも元気でな。家のことをたのむぞ。」

と、言いおいてしごと場にむかいます。

なかよくくらして一年。ある春の日、お民さんは、玉のような男の子をうみました。

ところが、おちちが出ないのです。むかしのことですから、ミルクなどありません。

「赤んぼうにおちちをのませなければ。」

と、心配になったお民さんは、赤ちゃんをうんだつかれもとれません。

「ああ、あの水がのみたいなあ。」

思い出したのは、ふるさとの泉(いずみ)の水のことでした。

「気ままをいいますが、どうか”十王村の水”をのませてはもらえませんか。あの水さえのめば、元気が出て、おちちも出そうにおもうのです。」

「いいとも、いいとも、おまえと、かわいい赤んぼうのためだもの。何とでもしよう。」

若者が、西今の泉(いずみ)に走ります。

「よし、いつもせわになっているおまえのためだ。とちゅうまでついていって、そこで待っていてやろう。帰りは、わしらがかついでやるから、たくさんくんでこいよ。」

と、なかまの大工(だいく)もいっしょに走ります。

西今の泉(いずみ)について、若者が水をくみます。話を聞いた西今の家からも、

「お民のためだ。赤ん坊のためだ。たくさんくんでいってください。わたしらも手助けします。」

歩けば、まる二日がかりのところを、おおぜいの人に助けられ、その日のうちに、ふとい竹の水(すい)とう五本分もの水がお民のところへとどけられました。

「ああ、この水。」

やつれていたお民さんが一口のむと、たちまち顔色がよくなり、二口のむと、はればれとした顔になり、三口、四口、のむほどに元気になって、つぎの日には、ふしぎなことに、お民さんのむねから、まるで泉(いずみ)のようにおちちが出ました。

赤んぼうもすくすくおおきくなっていったといいます。


今も、池のまん中に、子もり地ぞうさんのお堂(どう)がたっています。はじめに、地ぞう様をまつったのは、お民さんのだんなさんだとも言われますが、ほんとうのところはわかりません。

でも、

「のむと、おちちの出がよくなる。」

と、人びとにかたりつたえられ、この地ぞう様も、今では”母乳(ぼにゅう)の地ぞう様”として、大切にされているということです。

(「淡海録」等をもとに構成、再話)

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