title point さいしょのページにもどる
次のページへ -->
line

 

 ひこね市の市がいちぶを東から西に流れるせり川は、すずか山けいのりょうぜん山ならびに高むろ山にみなもとを発し、緑こいたが町の山間部から田えん地たいを流れ下り、ひこね市の市がいちを通りびわこに注いでいます。
 流路のえんちょうは、やく17kmあり、げんざいのかどうにあらためられたのはじょう下町けんせつ(1603年)のころです。
 いこう、380年いじょうもの長い年月のれきしをきざみながら、わたしたちにすばらしい空間をていきょうしてくれています。
 かこの一コマを写真でごらんに入れましょう。

  芹川での馬駆け風景 芹川での馬駆け風景

せり川での馬がけふうけい
   いつごろ始められたのか、はっきりわかりませんが、たくさんの見物客が見守るなか、せり橋をスタートし新町まで一気にかけぬけるものです。


   今では車の対向がかのうなコンクリートせいの橋となっていますが、このころは木でつくられた橋でした。しかし、この橋も昭和34年9月26日の台風15号により流しつしてしまいました。
 写真に写っているケヤキや竹林は、今なお当時の様子をとどめています。
  木造の後三条橋

木ぞうのごさんじょう橋
台風15号による後三条橋の流失

台風15号によるごさんじょう橋の流しつ


   下の4まいの写真は、ほとんど同じいちからせり橋を写したものです。
 左上と右上の写真を見ると、橋は木ぞうですが、右上の写真には木ぞうのひのみやぐらが写っています。左下の昭和期の写真になると、すでに橋はコンクリートせいにかわり、ひのみやぐらもてっせいにかわっています。げんざいでは、ひのみやぐらもなくなり、ごがんもコンクリートでせいびされています。時のけいかとともに、しゅういの様子もこのようにへんかしてきました。
  時代不明

時代ふめい
大正14年、平田山火葬場へ向かう芹橋上での葬儀の列

大正14年、平田山かそうばへ向かう せり橋上でのそうぎの列
  昭和期、平田山火葬場へ向かう芹橋上での葬儀の列

昭和期、平田山かそうばへ向かう せり橋上でのそうぎの列
昭和63年2月

昭和63年2月


line
せり川のしぜんかんさつガイド