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   じょう下町へぶっしを運ぶため、中山道からじょう下町へのわきかい道がつけられ、高宮からぬなみ、せり川南がん、橋本町、かわら町をへててんま町(げんざいの中おう町ふきん)へ通じていました。このかいどうふきんには、せいほ元年(1644)にせり中町・大橋町・おか町・ぬなみ町などが新たにつくられ、げんろく8年(1695)のきろくにはおけ屋・古鉄屋・米屋・茶屋・しお屋・小間物屋など、さまざまのしょくしゅの人々が見られました。くっきょくしたがいろから七曲りの名で知られています。
 このふきんでいつごろからぶつだんが作られるようになったか、くわしいことは分かっていませんが、げんろく年間にせり中町・大橋町・ぬなみ町に5けん(じょうか町ぜんたいでは23けん)のぬしや(うるしぬりをするしょくにん)があり、えど時代中きにはぶつだんのじゅうようなこうていを受けもつうるししょく人がいたようです。これをすぐにぶつだんせいぞうとむすびつけるのはふじゅうぶんですが、ぶつだんが作られるきばんがあったことはそうていできるでしょう。

《 ふくろ町 》
 げんざい、飲食店が林立するこのちいきは、げんろく8ねんごろは、米屋10けん、大工7けん、たばこ屋・しお屋かく5けん、油屋・こまもの屋ひも屋かく3けん、あさ屋・わりき屋・木屋・炭屋・こびきかく2けんなど23しゅのしょくしゅの人々が住んだにぎやかな町でしたが、飲食業にるいする店はなかったようです。ぜんもんやあまなど出家をしてぶつもんに入った人々が多いのもとくちょうでした。げんざいのいんしょくがいへのはってんはえど時代すえからめいじいこうのことと考えられています。

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せり川のしぜんかんさつガイド